1: :2014/12/24(水) 18:26:02.68 ID:
クリスマスイブの夜に豪華なディナーとホテルを予約し「特別な夜」を演出するようになって久しいが、
そうしたブームの隆盛に大きく寄与したのが、1987年公開の映画『私をスキーに連れてって』だ。
当時のクリスマスは「スキー文化」と密接に結びついていた。クリスマス前後に女性をスキーに誘うのは当時の流行りのデートプランで、
特に人気のスキー場が新潟・苗場スキー場だった(その他、斑尾高原なども若い男女に人気だった)。
苗場へと向かう関越道は大渋滞。苗場まで4~5時間かかることもザラ。「スキー場に着いてもリフトの2時間待ちは当たり前で、
昼までに2度リフトに乗れればいいほうだった」(都内の50代会社員・A氏)という信じられないような時代だった。
中でも苗場プリンスホテルは高嶺の花で、クリスマス時期に泊まることは「赤プリ」を上回るステータスだったといわれる。
ちなみに当時、スキー場に行く車で最もカッコいいといわれたのは、『私をスキーに連れてって』にも登場したトヨタのセリカGT-FOURだった。
A氏の思い出話。
「27歳の時、苦労して苗場プリンスを予約したんです。当時の彼女を誘うととても喜んでくれた。で、親父に車を借りて出かけたんですが、
途中の雪道でタイヤが滑って脱輪。大渋滞を引き起こしてしまったんです。周囲の協力もあって30分ほどで元に戻れたのですが、
彼女のテンションは下がりまくり。結局スキー場に着いても大混雑だし、東京に戻るまでロマンティックなムードになることはありませんでした」
なお、当時はスタッドレスタイヤはほとんど普及していない。「女の子の前でタイヤチェーンをスムーズに装着できるように男たちは必死に練習していた」(A氏)という。
http://www.news-postseven.com/archives/20141224_292785.html
そうしたブームの隆盛に大きく寄与したのが、1987年公開の映画『私をスキーに連れてって』だ。
当時のクリスマスは「スキー文化」と密接に結びついていた。クリスマス前後に女性をスキーに誘うのは当時の流行りのデートプランで、
特に人気のスキー場が新潟・苗場スキー場だった(その他、斑尾高原なども若い男女に人気だった)。
苗場へと向かう関越道は大渋滞。苗場まで4~5時間かかることもザラ。「スキー場に着いてもリフトの2時間待ちは当たり前で、
昼までに2度リフトに乗れればいいほうだった」(都内の50代会社員・A氏)という信じられないような時代だった。
中でも苗場プリンスホテルは高嶺の花で、クリスマス時期に泊まることは「赤プリ」を上回るステータスだったといわれる。
ちなみに当時、スキー場に行く車で最もカッコいいといわれたのは、『私をスキーに連れてって』にも登場したトヨタのセリカGT-FOURだった。
A氏の思い出話。
「27歳の時、苦労して苗場プリンスを予約したんです。当時の彼女を誘うととても喜んでくれた。で、親父に車を借りて出かけたんですが、
途中の雪道でタイヤが滑って脱輪。大渋滞を引き起こしてしまったんです。周囲の協力もあって30分ほどで元に戻れたのですが、
彼女のテンションは下がりまくり。結局スキー場に着いても大混雑だし、東京に戻るまでロマンティックなムードになることはありませんでした」
なお、当時はスタッドレスタイヤはほとんど普及していない。「女の子の前でタイヤチェーンをスムーズに装着できるように男たちは必死に練習していた」(A氏)という。
http://www.news-postseven.com/archives/20141224_292785.html
12: :2014/12/24(水) 18:30:01.33 ID:
>>1
新潟行くならガチンコなスパイクタイヤだろ
新潟行くならガチンコなスパイクタイヤだろ
31: :2014/12/24(水) 18:36:35.30 ID:
>>1
>リフトの2時間待ちは当たり前
狂気!
>リフトの2時間待ちは当たり前
狂気!
35: :2014/12/24(水) 18:37:02.21 ID:
>>1
まあそこまで面倒くさいことしてまで家族を得たわけだが
今冷静に考えると独身のままの方が幸せだったとも思う。
まんまと自民党と電通にやられたわけだ
賢明な若い諸君も冷静にな
まあそこまで面倒くさいことしてまで家族を得たわけだが
今冷静に考えると独身のままの方が幸せだったとも思う。
まんまと自民党と電通にやられたわけだ
賢明な若い諸君も冷静にな